直十は大学卒業後、約24年間、広告業界で仕事をしていました。その後、業界の性質が激的に変化したことにともなって広告の仕事をほとんどやめて、10年前に日本の北海道東部に移住しました。
彼は、古い材木を使って鱒の彫刻や木のヘラ、杓子やスプーンを作ります。それらは完全に乾燥しているのでカービングの材料として優れているからです。古い材木には風格もあります。
彼は、もっとも最初の段階で材木をおおまかに切るときだけマシンを使いますが、そのほかのすべての工程では、斧、ナイフ、木彫専用の道具を使って手で作業します。
材木には様々な個性があり、手彫りだとそれを感じとることが可能だからです。彼は、それぞれの材木の個性を生かすことはとても大事なことだと考えています。
冬の北海道は信じられないくらい寒くなるときがあります。そんなとき、彼はどこにもでかけず、薪ストーブの前で材木を彫ります。鱒を彫っているときは、昔釣った大きな鱒のファイトや息遣いを思いだしながら。ヘラを彫っているときは、おいしい中華料理を思いながら。
「あの虹鱒のジャンプはすごかったな。あのとき、もし、ぼくがもうすこし慎重にやりとりしていたら魚が逃げてしまうことを防げたのかもしれないな……」
「あの仕事のあとに、みんなで食べた中華料理はうまかったな……」
彼は手を動かして彫刻を作り、鱒や料理に一歩でも近づこうとします。彼は手を使って歩いているようです。(h)
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──麻の帽子をあみだにかぶり熊鈴をひびかせ川に向かう彼をなんどか見かけたことがある。その後ろ姿はどこかストイックで俗世との隔たりをかんじた。
彼は林道からケモノ道へと入り、藪をかきわけしだいに濃くなる森のなかへと消えていく。やがて年古りた木々やそこに棲息する野鳥たちの声に耳をかたむけながら静かに入渓するのだ。
どうやら彼は人とのコミュニケーションが苦手のようだ。彼にとって俗世は生きづらい場所なのだろう。街より川にいるほうが心がやすまるらしい。彼をみるにつけムーミンに登場するスナフキンを連想してしまうのは私だけだろうか。
鱒釣り好きが高じて、とうとう北海道に居を移してしまった直十(なおと)のことだ。
直十のカトラリー製作の思想としては自然のモノに対する畏敬がベースにある。
たとえば。
へらをつくるために木を手斧で割っていく。だが木目の流れや節がじゃまして素直に割れてはくれない。
機械を使ったらどう?
──あるとき私はそう助言したことがあった。機械を使えば時短になるしサイズも整えられ滑らかに仕上がる。
直十はおだやかにわらいながら答えた。
「ふと気づいたんです。この材は…この方向に切られたくないんだ、という木の意思みたいなものに。電動工具を使って彫れば楽だし人間の思いどおりになる。滑らかでカタチの統一されたものができるにきまってます。でも、それはすこし違うんじゃないか。木材はすべて異なった個性があるのに統一させて人間の好きなカタチに整えちゃダメだろう。
木の節目や反り返りをそのまま生かしてあげるのが木に対する敬意なのでは…とおもうようになったんです」
私はふいに恥ずかしくなった。そして腑に落ちた。
直十のなかでは人間も野生動物も木も魚も同等に生きているのだと。そこに優劣はなくすべての命は等しく価値のあるものなのだ。
「無骨だし作品が理解されにくいのはわかってます。それでも喜んでくれる少数派にむけて少しずつ彫っていきます」
道路脇のオオイタドリが背をたかくしている。夏至をむかえ、フライフィッシングにはいい季節がやってきた。最近は直十を訪ねても留守のときが多い。
だが、もしきょうが雨なら、わが町のスナフキンは釣りをあきらめ、狭い公営住宅のなかで古木と対話しているにちがいない。
【染矢はるみ(ライター)2017/6/22寄稿】
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